第 9 回 ナナコ
お腹の子はヤスヒコの子だ。確信がある。
母親ならばわかるもの、とかそんなロマンチックなものではないと思う。
私が妊娠するならば、父親はあの男とあらかじめ決まっているのだ、みたいな。
ずいぶんな少女期だった。
ひどく貧乏だったし、貧乏が理由でいじめられた。あんまりだ。逃げ道がない。
いじめっ子たちとわたしの間に割って入ってくれるのが、なぜかヤスヒコだった。
「なぜか」って、そういう人じゃないから。
絵に描いたような田舎の不良。
いま見たら幼さに吹き出してしまいそうだが、やることは充分に悪い。
そんな男はわたしの向こうにまわることが普通なのに、
こちら側に立つことを誰もが不思議がった。
クラスの男がいちど理由を彼に聞いてみたら、
あいつは大人になったらきっと美人になるから、と言ったらしい。
頭の回転が速く、口がうまい。
中2の田舎娘をその気にさせることなど、ヤツには子犬の肉球をつねるくらいのこと。
そしてわたしの初めての男になった。はじまり はじまり。
毎日昼休みか放課後、もしくはその両方、
体育館の倉庫や人のいない音楽室でセックスをした。
へんな言いかただが、作業の手際がよく、はいたままのスカートにしわもつかないくらい。
息は荒げるのだが、動きに無駄がなく目は冷静に見開いたままで。
以前どこかで似た表情を見たことがあるような。
そのまっ最中に考えていたら、思い出した。
「わくわく動物ランド」で見た、インパラを追い詰めるチーター。
真夏なのに寒気がした。
この人とこんなことしてたらわたしどうなっちゃうんだろう?
そんな心配も不必要となる。
「おまえはメジャー感に欠ける」という理由で哀れ女子中学生はすぐに捨てられた。
中学卒業後息苦しい地元を出て、東京で一人暮らしを始めた。
北千住のスナックでアルバイトしながら、高校に通っていたが1年ちょっとでやめた。
勉強しても未来は見えなかったし、
酔っ払いとデュエットしている現在の続きに自分の人生があるように思えたからだ。
事実18歳の時に銀座にデビューした。水商売の水がよく合った。
22歳のころ、当時わたしが働いていた超一流と一流の中間ぐらいの店に、
ヤスヒコが客としてやって来た。
芸能関係のプロモーターをやっていると言った3日後には
わたしのマンションに転がり込んで来た。
AVも芸能関係ならウソはない。
スカウトしてプロダクションに斡旋する、というか売る。おまえもどうだ?と言う。
冗談だと取り合わなかったら、しつこく食い下がる。
チーターの目。再会したばかりの昔の女を、売ろうとしている。
しかしわたしはもう14歳のやせた少女ではない。
ヤツの話術も空を切る。今度はちがう手に出た。最低の最低。
食事に行こうという。某ホテルの、なぜかスイートルーム。
そこに先客がいた。初老の品のよさそうな男性。
しかしヤスヒコとなんらかのつながりがあるのなら、ロクな人間ではあるまい。
そして力はあるのだ。それがすべてだ。
ヤスヒコがずっと愛想笑いを浮かべている。
ヤスヒコが私を残して部屋から出て行った時に、わたしは売られたのだと気がついた。
わたしでも名前くらい知っている有名な芸能プロダクションのオーナー。
わたしは流れに抵抗する気力もなく、そのまま何番めかの女になった。
3歳の時に死んだ父親と同い年の男は、娘のようにわたしをかわいがった。
そして、ヤスヒコを恨んだ。
娘を愛人という境遇に追い込んだ男。相当な目にあわせたらしい。
なぜ?力のある人の考えることはわからない。
そして、娘の就職をきめるように、
24歳のわたしを20歳のお天気お姉さんに仕立て上げてくれた。
ヤスヒコの予言どおり、わたしはそれに足りる美人になっていた。
それから4年後。例の中学の同窓会があって、いやな記憶しかない日々だったけど、
テレビに出るようになったわたしを見せてやりたいという気持ちが、
出席に丸をつけさせた。
そこで再会した(ドノツラサゲテダ?)ヤスヒコは地味なネクタイ姿で、
ある代議士の秘書をやっていると言っていた。
その娘と結婚していずれ地盤を継いで、自分も政治家になるのだとも言っていた。
よくある詐欺の手口に聞こえた。
社会や未来を熱く語るその姿は滑稽に見えたが、
調子よく口先で言葉を転がす様子を見ていると、
政治家にはこういう人間が向いているのだと思える。
誠心誠意、とか真摯な、とかのセリフが、逆によく似合った。
数年前のことなどなかったかのようにわたしに近づき、
その夜、あたりまえのように、ものにした。
関係は再開され、そしてまた急に中断される。
わたしが野球選手と不倫関係にあることが写真週刊誌に載った。
おかげでわたしはオーナーの逆鱗に触れ、日の当たる場所から追放されることとなったのだが、
直接に関係はないヤスヒコまで、
「奔放なお天気お姉さん相姦図」の一部として登場してしまった。
それがもとで、例の代議士のところを追われる。
わたしは迷惑かけたなあとも、気の毒にとも思わず、
あの同窓会での大風呂敷がまんざらウソじゃなかったことに驚いた。
ホントよりウソが多い男だったから。
人生を変えたり、変わり目にかならず立ち会う男。
女だったらファムファタール?意訳すれば、くされ縁か。
まったりとした泥沼。ずっとつかり続ければ、辛い、うざい、のリアリティもボケてなくなる。
1年後ヤスヒコが裏家業風に身をやつしてわたしに付きまとい始めたときも、
意外と遅かったね、という感想だった。
「おまえのせいで」から始まるセリフも予想通り。ホントアサイヤツ。メジャー感に欠ける。
彼はヒトシさんのことも感づいてはいるが、
いまのところ「金のない地方議員」ということで食い止めている。
ヤスヒコは政治銘柄には懲りているだろうから。
もし事の真実を知れば男二人のどちらかが死ぬ。間違いなく。
ヒトシさんがどうというより、わたしは巻き込まれたくない。
赤ちゃんがいるのだ。少なくともわたしの子だ。
似ているところがひとつ。二人ともコンドームをつけない。
しかもヤスヒコは故意に「漏らして」いる。
自分の最後の凶器を使って、わたしを引きずりおろすつもりだ。
自分の位置まで。妊婦AVにでも出そうというのか。
ほんと、治癒しない病。
でもこれ以上お似合いはないかもしれないけれどね、ウイルス男と感染女。
ナツミがオーディションの席を蹴って帰ってしまった後、オレは散々な目にあった。
妙にものわかりのよい若いヤツらの中で、あの気性の激しさは異様だ。
17歳。She is just seventeen.