コトバのコトバ

第 14 回 ノリ

好きだと、好きでたまらないと言われた。
好きになろうと思って、好きになった。
ようやくそうなったと思ったら、ぼくを好きでたまらなかったリカは、もういなかった。

 

「うちにステーキがあるのに、どうして外でハンバーグを食わなきゃいけないんだ?」
そんなミック・ジャガーのインタビューを、音楽雑誌で読んだことがある。
ビアンカ・ジャガーという素敵な妻がいるのに、

よそで浮気をする必要はないだろう、という意味である。
まだ、浮気どころか恋愛も知らない頃に目にしたはずだが、

(ミック、ウソついてる)と、瞬間的に思った。
会社の先輩で、「本命の彼女の、鮮度保全」を浮気の理由に挙げる人がいた。
「相手にフラれたとき、自分も悪者だったという立場を担保しておきたいから」

と言う後輩がいた。
友人の一人は「定食の、付け合せのポテトサラダ」と言った。

箸休めということか。失礼な話だ。
男が浮気を語ると、かならず身勝手な(そして珍妙な)言い訳のオンパレードになる。

女はどうなんだろう?
ぼくの彼女はいま、浮気をしている。
彼女を責める前に、おまえの浮気癖はどうなのだと問われれば、こう答える。
ミック・ジャガーの、無邪気で無謀な論理から「ステーキ」を拝借すると、
(大好物なのに)ステーキに決めた時点で、もうステーキしか食べられない、と嘆くようなもの。
(大好きなのに)彼女に決定したとたん、

その彼女以外の可能性を消してしまう、と嘆くようなもの。
ミサコとのケース。大好きだった。最後の女だと思った。

これから一生この人といるのだと、確信していた。
しかし最後だと思うと、怖くなった。二十代で「最後」は、怖かった。

だから、浮気した。浮気を続けた。
浮気しているあいだは、最後じゃない。

それを証明するために、好きでもない女たちに抱きついてみせた。
つまり、ミサコが大好きだったから、↓↓↓ほかの女と浮気した。
Oh、我ながらなんという、身勝手珍妙言い訳オンパレード。

女性たちに、袋叩きにあいそうだ。あってしまえ。
袋叩きにはあわなかったが、ミサコには、ボコボコに叩きのめされた。
失ってはじめてわかる、という真実は、愚か者には覚えられない。

毎度毎度、失ってはじめてわかる。
「食べないんなら」と、ステーキを下げられちゃったか、また懲りずに、失ってはじめてわかった。

もちろん、手遅れだ。
リカには、会社の飲み会の帰り道、「憧れの人だ」と言われた。

ぼくのことだ。仕事も人も、と言われた。
憧れとは、叶わぬ思いの、聞こえのいい総称だと思っていたので、

さほど重要な告白と受け止めなかった。
だいいち、ぼくは憧れられるような人物ではない。

恐怖から、浮気をする男。あとで泣く男。
しかしリカは、彼女の考える憧れを憧れのままフェードアウトさせる気はなさそうで、
ぼくが受け入れる形で、ぼくらは付き合うことになった。1年前のことだ。
7歳年下の後輩。新入社員。

同僚たちから冷やかされるネタとしては、困らなかった。それ自体は、悪くなかった。

明るく、元気で、足が長く、笑顔がチャーミング。それが、尊敬をあらわに、甘えてくるのだ。
悪いわけがなかった。
未完成な肉体も魅力的だった。

でも、彼女と愛し合うことはないはず、という違和感を確信していた。(へんな表現)
それが彼女に伝わったのか。埋もれていた問題が露呈したのか。

それとも、ここには、もともと、なにもないのか。
彼女の憧れが実は憧れではなく、好きですらなく、興味があると同義だと気づくまで、3か月。

なるほど、これか。
明るく、元気で、笑顔がチャーミングだ。そんなタイプほど、変化がわかりやすい。

下向きの変化が。
(飽きてきたんだな)そう、思った。
マーケティングで用いる言葉に、バラエティシーカーというものがある。

近頃、よく見られる現象だ。
面白いものはないかと、浮遊する層。

音楽でも、格闘技でも、フラダンスでもいい。集まって、また、すぐいなくなる。
あくまでもたとえ話だが、違和感の確信のポイントはこれだった。

きっと彼女はやがていなくなる前提で、ここにいる。
リカのケースは、世代の特徴か、若さのせいか、彼女個人のものか。

とにかく「ぼくブーム」は終わろうとしていた。
一過性の恋愛もある。不自然なことでもない。

この失恋は痛くはない。飽きられちゃしょうがない。
でもミサコに「最後」を見た記憶が、鮮明になるばかり。こっちは、痛くてしょうがない。
リカといっしょにいた1年間、いちども浮気をしなかった。

しようとも思わなかった。ミサコとは違って。
彼女は最後の女にはならない。↓だから恐怖はない。

↓だから浮気もしない。(ほんとうに袋叩きにあうぞ)
浮気したのは、リカのほうだった。ぼくとは動機は違うだろうが。

浮気の認識すら、なかったかもしれないが。
彼女がぼくの部屋に来たとき、忘れて行ったケータイ。ミサコがぼくの浮気を発見したモノ。
つまりここを開けば、浮気がわかる。ミサコはどんな気持ちで見たのだろう。
そこには、彼女のあたらしい興味が、男の名前で書いてあった。

まめにメールする女だな。ぼくのときもそうだった。
こんな恋愛でも、そりゃへこむ。

でも浮気されると、心のここがこういうふうに痛いのかと知り、ミサコの痛みを思う。
リカと出会うことで、ミサコがわかるとは、未練と失礼にもほどがある。

知らず知らずに、いつもミサコだった。
ごめん、でも、ミサコだ。会ったら言おう。好きでたまらないと言おう。

もうぼくは決定することに、恐怖しない。
だって、「ステーキがあるのに、どうしてほかのものを食べる必要があるのか?」

それじゃダメか。苦笑。

 

欲しいものが、手に入らない。理由はわかっている。
わたしの欲しいものが、わたしのことを欲しがっていないからだ。それなら、思いつきで抱くな。
タツロウさんは、今日は電話にも出ない。