コトバのコトバ

第18回 マコト

夜行バスで、京都へ行く。
神社、仏閣、舞妓はん、おばんざい、そんなもの、どうでもいい。
ぼくにとって京都は、スミレが住む町でしかない。

 

スミレとは同じ病院で働く看護士同士だった。

「だった」が、やりきれない。
それぞれ別の病棟の、別の病気の末期患者を受け持っていた。

初めて出会ったのは、恒例の忘年会だった。2年半前。
病棟が違えば、めったに顔を合わすことはない。

職員食堂あたりで遭遇したことがあったかもしれないが、
仕事中は仕事以外のスイッチは切っている。

だいいち、あのナース服が苦手だ。ナース服を着たナースが苦手だ。
制服は個性を消すというのが定説だが、逆じゃないかと思う。

私服は緩衝地帯だと思う。個性のグレーゾーン。
個性そのものと向き合わずに済む。制服には逃げ場がない。

だれもが、顔だ。顔は裸だ。個性まるだし。疲れる。
忘年会で出会ったスミレは、この日とばかりに着飾った女たちの中で、

目立たない地味なワンピースが、目立っていた。

制服を脱ぐと、いつもは抑えつけている「生」が体表に出てくる。

私服に興奮した。これは世間と逆らしい。

日々、患者さんの生死と付きあっているから、

ぼくらは、自分たちの生きる上での欲望を隠す癖がついている。
だから、うちの病院では、職場で恋愛が成立することは少ない。

カップル誕生は、病院まわりの宴会が多いという。
それを目論んで、病院が催しているという話もある。

だとすると、ぼくはまんまと引っかかったらしい。
スミレの眼鏡もいいな、と思った。早い話がぼくの一目惚れだ。

一目惚れなど、初めてのことだった。
仕事に誇りを持っている。

スミレが、その仕事とぼくを一息に捨てたあとも、そう言える。面映いセリフだが。
誇りを持ちやすい種類の仕事だ。きつい労働条件と、見合わない賃金。

誇りを持たせてやるのも、福利厚生である。

血圧を測ったり、シーツを換えたり、点滴のパックを替えたり、

そういう作業がまったく苦にならない。技能職だ。
看護師というと、聖職であるかのように、生死の尊厳と絡めたがる人がいる。

テレビのコメンテーターとかに多い。
「尊厳ある職業である看護師がこんな犯罪を、」という調子だ。

こいつ、大病で入院したことなんかないのだろう。
尊厳などと口にしたとたん、あまりの事の重大さに、

ぼくは注射器も持てなくなってしまうだろう。
スミレは病院の寮にすんでいた。彼女はトランクひとつガラガラ引きずり、

ぼくの部屋へやってきた。
年はひとつぼくが上だった。

暮らし始めて、初めて気がついたのだが、スミレには本質的な弱さのようなものがあった。
元気がないとか、体が弱いとか、わかりやすいものではなくて、

その正体は、彼女がいなくなるまでわからなかった。

二人の会話があまりないことにも、やがて気がついた。共通の話題は、病院のことくらいだ。

楽しい話にはならない。
勤務時間もまちまちで、揃って休めることはめったにない。

どちらかが必ず仕事の後で、どちらかが必ず疲れていた。

しかし、ぼくにはなんの問題もなかった。自分の好きな仕事と、自分の好きな人。

なにも問題があるはずもなかった。仕事の話はしなかった。

患者さんがどうしたこうしたとか、あの先生が、例の看護師が、という話が好きではない。
他人の下世話な話をしだすと、自分の仕事の部分まで汚すことになる気がする。

それこそ、「尊厳」の問題だ。
「悪い気」を持った患者さんが、たまにいる。

すぐに亡くなってしまうので、看護を受け持つ時間は長くはないのだが。

もちろんその人が悪いわけではない。普通の患者さんだ。

ある人はきれいな女優だったし、毅然とした老人もいた。

ただみんな、あっという間にいなくなった。彼らの病室は空気が重い。

頭が痛くなる。行きたがらない看護師もいる。
そういう遭遇をした日は、必ず近所の神社で大きな音で手を叩いて帰る。

「気」を家に持ち込みたくないからだ。
家庭に仕事を持ち込まない。ましてや、生死など持ち込みたくはない。

それはぼくの技能では扱いきれない。
スミレはよく笑ったが、あまりしゃべらない。

彼女のほうから向き合って話しかけてくることは、ほとんどなかった。
だからその日、話があるの、といわれたときには、

いいことじゃないんだなと、なんとなくわかっていた。
「気になる人がいるの」最悪のレベルで予感は当たった。

こういう時は、ぼくは根掘り葉掘り聞くしかないらしい。
男は30代の銀行員。一月前の友人の結婚パーティで出会ったらしい。

ああ、あのパーティか。しかし、よく聞く話だ。

銀行員の男と、銀行の外で話をしたことがない。

面白いかどうか知らないが、銀行員に興味が持てるものなのか?
いずれにしても、収入はぼくの倍はあるだろう。でもそういうことじゃないらしい。
2度しか会ってないし、今後のこともわからないと言う。

なにが言いたいんだ?と考えて、ア、そうか!
「ぼくと別れたいってこと?」スミレは、うなずかなかった。

彼女の場合、つまり、イエスだ。
ぼくが嫌いになったのではないと言う。

「ぼくの仕事」が嫌なのだと言う。今日は尋ねなくてもしゃべってくれる。
仕事をやめたい。ずっと思ってた。人が死ぬのも嫌だ、人が泣くのも嫌だ。

それを見て泣けないのも、もう嫌だ。
「生と死の仕事って言うけど、死、だから」

だからこそ、感情を発生させない訓練を積んできたではないか?
それがもう嫌なのだと言う。でもひどいじゃないか!

仕事をやめたいから、その仕事の匂いがするからと、別れる?
「責めるわけじゃないけど」それで始まる話は、責める話だ。

「マコトの仕事に臨む姿勢は尊敬している。でも、」
でも?「あなたを見ていると、珈琲、って書くような喫茶店のマスターを思う。

手際よくって、プロフェッショナルで」
それで?「この人、もしかしたらコーヒーが好きなんじゃなくて、

コーヒーを淹れるのが好きなんだ、って」
あ、そうか。仕事が嫌になっただけじゃなくて、「ぼくの仕事」が嫌になったのか。

すごい否定のされ方。
3日後、夜勤から帰ると、

スミレは持ってきたトランクとともに、跡形もなくいなくなっていた。

予想はしていた。
3か月後、スミレの母親から手紙が来た。

京都の実家にいると言う。ちょっと様子がおかしいのだが、と言う。
ちょっと見に来てやってくれないか、なのか、うちの娘になにしたの?なのか、

報告で終わっていたのでわからない。
ぼくの受け持っている末期患者に人たちにとって、いちばん大切なのはメンタルケアだ。
死ぬ、死なないではない。残りをいかに生きるかである。

生死を、死、で見ない。これが「ぼくの仕事」だ。
スミレは、どうなっているのだ?母親は感情で彼女に接するだろう。

感情はなにも解決しない。また嫌われるな。
夜行バスが、京都に着いた。冷たい空気が、歓迎していない。

 

今日は、ユキヒロさんの講義がある。
広告のコピーなんて、まったく興味も持ったことなかったのに、

気まぐれで教室に通い始めた。
家から出るのは、3日ぶりだ。