コトバのコトバ

第19回 スミレ

今日は、ユキヒロさんの講義がある。
広告のコピーなんて、まったく興味も持ったことなかったのに、

気まぐれで教室に通い始めた。

 
家から出るのは、3日ぶりだ。
実家に戻って3か月になる。戻ったばかりの頃は、

あの頃のようなストレスの現場にいるわけでもないのに、
不意の頭痛や耳鳴りに悩まされて続けていた。

それも、いまはようやくおさまっているように見える。
でもこの状況が病から逃げ切ったのか、

ふすま一枚隔てて息を潜めあっているだけなのか、わからない。
かかりつけの神経内科の先生は、「様子を見ましょう」としか言わない。

まあ、それほど好転はしていないのだ。
たぶん病がその気になれば、手を伸ばすだけで私を捕獲できる。
コピーの教室の存在を知ったのは、と言うか、

広告コピーというものの存在を知ったのは、ごく最近のことだ。
東京で看護師をやっていたときは、

新聞も読まなかったし、テレビもほとんど見なかった。人が死にすぎる。
見るとしてもNHKくらいか。NHKでは、あまり人が死なない。

人が死んだり泣いたりするのは、現実だけで十分。

切り替えがちゃっかりできる性格ならば、こんなことにはならなかったのだが、

職業には向き不向きもある。
それに気づかずに、どんどん気持ちの逃げ場を塞いでいったのだと思う。

スマスマくらい見とけばよかった。
テレビも見たくないくらいなのだから、広告なんてますますどうでもよかった。

NHKにはコマーシャルはない。
京都に戻っても相変わらず逃げ場も見つからないまま、

「様子を見る」ように暮らしていたとき、
地下鉄の額面広告(こんな用語まで覚えた!)で、そのコピーの教室のことを知った。

不思議と惹かれたのも、縁か。
そんなもの通う物好きなどいるのかと、

物好きにもパンフレットをもらいに行ってみたら、定員はほぼ一杯だった。
そこまでは気を紛らわす程度の動機だったかもしれないが、

そこからは、「不思議と惹かれた」わけではなかった。
パンフレットの、「ぬくもりや激しさではなにも伝わらない。伝わるのは言葉だけだ」

という男前な言葉が、伝わった。
教室には3人の先生がいる。年齢不詳の女性。男性、一見おじいさん。

そしてユキヒロさん。

パンフレットの言葉の人。3人が交代で計12回。3か月。8万円。

女の先生、1万円。おじいさん先生、8千円。ユキヒロさん、6万2千円。

女の先生の結論はいつも、「女性の感性」だ。

それこそ女性らしい素敵な広告をつくっている人なのだが、
「この、普通なら見落としがちなベネフィットにライトを当てた」のも女性の感性、という結論。
「論理で固めきるのではなく、

最後に受け手が感想をはさめるスペースをとっておいてあげる」のも、女性の感性。
生/死から逃げてきたので、女性/男性とか、境目がきつい。

境目恐怖症候群(ネーミングby私)。笑えない。
女性の感性が必ずいい目を出すとも限らない。

それゆえの失敗もあると思う。生意気ですね。先生ごめんなさい。
おじいさん先生が講義のサンプルにひっぱり出してくるのは、

いつもアメリカの60年代の広告か、昭和の広告だ。
「ここに広告の原典がある」らしい。

近頃の広告は、イメージに走るか企業におもねるかで「意義が見えない」らしい。

コピーの講義というよりも、博物館で化石を見ているようだ。勉強というより、お勉強になる。
ある意味、本物の学校の授業。しかも休講になれば、みんなが手を叩くような。

またですね、先生ごめんなさい。
ユキヒロさんは、3人の中でも有名なコピーライターらしい。

私、なにも知らないのだ。ほんとうに、ごめんなさい。
作品を見れば、見たことあるような。

でも私は、広告を面白がるためのものとして見たことがなかったから、
広告に作者がいるなんてことすら、考えもしなかった。

私にとってはものを買うための情報に過ぎなかったので、
改めて「この広告の意味は」と話されて、なるほどと感心したり、いまさら言われてもと思ったり。
ともかく、すごい人なのだそうだ。

その証拠にユキヒロさんには、いつも若い男女の取り巻きがいる。
京大生の男の子なんて、それはもう教祖扱いだ。

講義後の飲み会では、いつもユキヒロさんの隣を確保しようとする。

ユキヒロさんは迷惑そうだ。

そんな空気読めないことじゃ、コミュニケーションなんてできないぞ、と内心アドバイス。
私にとって(今のところ)彼が重要なのは、かつての彼ではなくて、いま彼が話すこと。
言葉を使え。それじゃ喋っているだけだ。使えていない。

伝わらなければすべてノイズだ。街宣車や鼻歌と同じだ。
「~と思う」で誤魔化すな。言葉は約束だ。伝えろ。

他人を信じろ。他人の知性を信じて、言葉を投げ出せ。
広告の話を、たぶん丁寧にしてくれているのだろうが、

その基礎知識もない私には、彼の言葉だけが飛び込んでくる。

からっぽな私には、

このロックミュージシャンのようなメッセージが、乾いた砂が水を吸うよう沁みていく。
このロックミュージシャン、見た目的には、小柄、小太り、普通のおじさん。

そこから高い声で言葉が吐き出される。
表現するっていいな。

私の中にもやもやぐずぐずジュクジュクため込んだものが、出口を探しているのがわかる。
芸術は爆発だって言った芸術家がいたけど、

どうしていいかはまだわからないが、私も心の中にガスだけは満タンだ。

いつか時が来たら、どかぁぁぁぁーんと爆発してみせる、なんて夢を見たりする。

ちょっとラクになったかな、最近。
しかも(しかし、なのか?私、ほんとうに言葉が下手)、

ユキヒロさんが闘っている相手は、きっと自分なのだろう。
私は病院でたくさんの人間だけは見てきた。

末期患者がほとんどだが。生命が弱いから、闘おうとする。
問題があるから、問題に直面する。ユキヒロさんも、そのひとりだ。

コミュニケーションできない。だから伝える。
よくわからないけど。問題があるのは私も同じだ。

そのレベルでだが、よくわかる。あと、女に弱い。これは勘。
いちど食事に誘われた。生徒は30人で、そのうち女は18人。20歳代も10人いる。
つまり、私を特別に誘ったということだ。その気があるに違いない。
男としては、私は、まったく好みではないのだが、誘いに乗ってもいいと思っていた。

リハビリの一環として。
それなのに、夜中の2時まで彼の話題は、「京都のおいしい店」。
この人の心の闇は(笑)、想像よりもはるかに奥行きがある。

ますます目が離せない。

 

東京への帰りの新幹線の中から、ハルミにメールをした。
メールは苦手だ。思っていることの半分も、書ききれない。
夜遅くに、返信があった。