第22回 タクヤ
ぼくには、なにもない。からっぽだ。
バンドで愛を歌ってみても、傷を見せつけてみても、それがなにかもわからない。
焦らなくていいと、ミユキさんは微笑んでくれるけど。
UNDECIDEDは4人組。ギター、ベース、ドラムス、ギターとヴォーカル。
ギターとヴォーカルがぼくだ。
高校生のロックバンドはとくに技術的なバックグラウンドがなければ、
楽器の担当はメンバー内の力関係で決まる。
ぼくは他の3人よりもルックスがよく、バンドやろうぜと声をかけた張本人だ。
だから、リーダーでヴォーカル。
歌がうまかったわけじゃない。ギターじゃなきゃ嫌だと引かなかったのでギター。
ギターがうまかったわけじゃない。
バンド名も他の3人はPEACEFUL DEADを主張したけど、
ぼくはアンディ(略してそう呼ぶ)で押し切った。
そこまではいい。こういうことは単なるわがままではない。
わがままはロックバンドのリーダーシップの一部だ。
ピストルズでもオアシスでもチェッカーズでも証明されている。
どのようなライヴをやれるかにも関わってくる。
そのくらいのこと、アタマのよくない高校生でもわかる。
おまけに(にもかかわらず?)ベースのジュンはいい曲を書く。
3歳からピアノとヴァイオリンをやってるヤツは違う。
もう少し身長があればリーダーを譲ってやりたいくらいだ。
リーダーはキツい。でもまあ、ここまではいい。問題は詞だ。
「こんなに愛しているよォ」
よく耳にするが、愛ってなんだ?恋と愛とどう違うのだ?恋よりも愛のほうが上か?
「夢の向こうへ走って行こうぜェ」
夢ってなんだ?夢と希望と目的と思惑はどう違うのだ?わからないよ、わからない。
「抱きたいんだァ」
とシャウトしてみても、「抱きたい」なんて思わない。「やりたい」とはいつも思うけれど。
ぼくの言葉はつくづく空洞だ、ガリガリだ、もしくは嘘のかたまりだ。
「キミのココロの破片がボクのココロに刺さる。
キミのくれた痛みがボクの目を覚ましたんだ」っていったいなんなんだ?
そこには一片の真実もないじゃないか!
原因はわかっている。
ぼくになにかを語れるような、歌い上げられるような経験が足りないのだ。それも決定的に。
ぼくの経験イメージはこうだ。
自分のアタマの地下に貯水池があって、そこに水のように経験が溜まっていく。
その経験を汲み上げて、なにかをつくったり伝えたり対応したりする。
なぜかなんとなく、そう思っている。
ところがぼくの貯水池ときたら、なーんにもないのだ。
経験の池はからっからにひび割れている。
ある時、驚きを経験したとする。ぴちょーん。経験の池に水が落ちた。
でもひび割れにしみこんで、跡も見えない。
ある時、悲しみを経験したとする。ぴちょーん。以下同文。
「いい経験をしたなぁ」ぴちょーん。以下同文。
「焦ってもしょうがないよ」とミユキさんになぐさめられても、焦る。
愚かな高校生にも、プライドもどきはある。
若者は自分の足りなさに焦るのだ。
そして解決策も見出せないままに、径の短い円周上をぐるぐる回っているのだ。
もともとカフェ「凪」は学校から近からず遠からずいい感じに離れた、
タバコの吸える「アンディ」の溜まり場だった。
どうでもいいような「アンディ」の方向性を議論したり、
もっとどうでもいいことのためにたむろしていた場所だ。
ミユキさんはそのオーナーだ。150センチあるかないか。ノーメイク。
35歳をいくつか越えている。ぼくの年齢の倍!
すれ違っても、視界にも入らないような人だ。悪口ではない。
好きな女性は必ずしもセックスしたい人ではない。
恋じゃないが、愛かも、だ。あ、そーか愛か?なわけねーか。
でも彼女との出会い自体が一つの経験。ぴちょーん。
自分が嫌になると(3日に1度くらいある)、「凪」に来てミユキさんに話を聞いてもらう、
というかココロを吐き出す。吐き出しているつもりなのだが、
やはり出てくる言葉は情けないくらい、空洞でガリガリで少量だ。
それでもミユキさんはぼくの貧しい言葉を、両手で包み込むように受けとめてくれる。
そして「焦ることはない」、「自分が嫌いであることは正常なことなのだ」
と言葉を添えて、カウンターの上に並べる。
甘えているのだ。ただ、生意気な男子高校生は誰にでも甘えるわけではない。
ミユキさんと会うといつも思う。
ぼくの悩みや問題を、これまでに既に通り抜けてきていて、
だからこそぼくの欲しい答えをいつもくれるような。
彼女の貯水池には経験が溢れんばかりに湛えられていて、
でも、どうだというふうには見せない。凪のような人だ。
でも彼女といると、自分の乾いた貯水池までなにかが溜まっていくような、
そんな気になる。
たとえば彼女の旅の話。
インドでマハラジャに求婚された話。「カレーが嫌いだって言って、逃げたの」
ロシアで風邪をこじらせて病院へ行ったら、
なにを間違えたのか入院させられて、お腹を開かれそうになった話。
「私なぜかロシア語で、人違いだ私じゃない殺す気か、
って訴えているのよね。単語3つくらいしか知らなかったのに」
フィレンツェの路地で、鼻の先5センチくらいのところを鉄パイプが落ちてきた。
寺院の修復工事の足場だった。
「死んでたら天国よね」と笑う。
「ツイてたね」と言うと、「ほんとうにツイている人は危険のそばにはいない」と笑う。
ぼくはこの人が大好きだ。彼女を見ていると、痛い目にあうことも愛おしく思えてくる。
でもそれは彼女のことだ。
ぼくじゃない。でも経験を重ねてみたいという夢を見る。
思惑?勇気がわいてくる。愛は知らないが勇気はわかる。
やっぱり旅かな、とまた愚かな質問にもならない感想を漏らすと、
旅なんかしてもいいし、しなくてもいいと言う。
「とくに男は踏んだ修羅場の数がものを言うと思うけど、
修羅場なんて、踏もうと思えば毎日踏めるもの」らしい。
彼女の旅の理由は、「失恋だもん」。
(その相手を刺して逃げたと、ベースが言っていた。ほんとうだろうか?)
「神様、この苦しみに名前をつけてください」昨日書いた詞だ。
苦しいということだけは自信を持って言える。
タイトルは「助けて」でどうだ?あ、そーか、それじゃビートルズじゃないか。バカ。
ヨウイチはどうしているんだろう。同じ東京に住んでいるはずなのに、会う術はない。
一緒にいた時間はあんなに長かったのに、顔も思い浮かばないけど。
私が刺した傷跡の夢は、夢によく出てくるけど。