コトバのコトバ

第6回 大阪物語最終回(のはず)やりたくてB級やってるわけじゃないのよ。

前回までのあらすじ(大阪に遊び出張←ついにゲロしやがったか!で行ったときのエピソードを中心に書こうと市川準さんを偲んで『大阪物語』と銘打ってみたはいいが、話がそれて回り道をして深入りし過ぎてこのまま進行すれば一生大阪から出られないのではないかと井上編集長が心配している)

いろんな街に行ってその街の食べ物の特異性を楽しむって、それって結局B級グルメってことでしょう?という問いには、ほぼその通りなのだが明らかに違うのだと答える。B−1グランプリも5回を数えイベントとして立派な存在感を示しているが、地方ごとに余所者に知られることなく埋もれていた食を紹介しようという初期の性格とはすでに異にしているようだ。もともとのスキームの中にはあったかも知れないが、経済効果という本来のB級の持たない尺度がこの成功したイベントを今や主導するようになっちゃったのだな、つまり言うまでもなくB級グルメという文脈に乗っかった町おこしだ。地方都市に行けば嫌でも実感できる経済の疲弊をそんなきっかけも改善の糸口にしよう(しかもうまく行ってるケースが多い)という試みは尊いが、オレが新潟とんかつ太郎に感銘を受け47都道府県庁の旅に駆り立てられた状況はそうではない。

人でも場所でも食いもんでも、B級とは止むに止まれずBなのである。狙ってB、ではないのだ(ダメ男を自称する男が見苦しいように)。地元の食とは本来暗号に似ている。その土地固有の複雑な事実がくみ合わさって、不思議な食べ物が生まれるもので、しかもその生い立ちは必ずしも幸せなものではない。米が育たない痩せた土地だから小麦がうどんになり、キャベツが捨てるほどある地域だからカツ丼に千切りキャベツを入れて金銭的な負担なく腹一杯にすることができる。そういう止むに止まれぬ状況がその土地土地の食をつくってきた。そのことを振り返ってみればこの豊かな時代に知恵と金をかけて生み出されメディアを使って育てられ、またかかった分を上回る金をもたらしてくれる孝行息子にB級と名を冠すること自体ためらわれる。

京都生まれのオレは30過ぎてからはじめて「おばんざい」という言葉を知った。それはオレが京都とは言えちょっと外れた場所育ちであるからにしても、街中育ちのええとこのお嬢であるオオタメグミも「そんなん観光客目当てのウソ京都や」と、自分が「そうだ、京都行こう。」のコピーライターであることを忘れたような調子で言っていた。「おばんざいって、ふつうなんて言う?」と聞いたら「おかずやん」と答えた。その通り。

例えばオレが先回老舗洋食屋を見ればその街がわかる(とは言い過ぎたもんだ)と書いたのは、その店の質はそれを育んできた街の質(いい悪いという意味ではない)を推測する有力な材料になるからだ。ある県庁所在地は小さな地味な街であるが洋食屋のレベルが高い(うまいまずいは主観によるが長い時間の淘汰を経て濾しとられたかのような有様をレベルが高いと評している)。それを(なんでやろ?)と考えてみて、そうかこの街には旧制高校があったなと、そこの先生や訪問者や卒業生の進取の気質が古い時代にこの異文化を愛したのだと思い至り(およよ)である。もちろんその想像は妄想の部類で何ら根拠のものではあるが、その妄想がオレの旅なのだ、ほっといてくれ。

うわあ今回も大阪を出れなかった。来月こそ。

 

(宣伝会議「ブレーン」2010年10月号掲載)