第10回 旅チューグルメ道2
前回までのあらすじ(以前訪れた函館で骨まで凍える寒さに耐え吹雪の中たどり着いた有名店のカウンターで対峙したスシ職人は「東京には空がない」ではなく「東京にはホンモノのイカはない」と言い放った)。
オレはここで「ホンモノのイカとは何ぞや?」という問いはあえて投げかけず、なぜかというとオレは多分職人氏が言及している刺身のイカにそれほど興味も愛もない(イカフライは好き!)程度なので、ホンモノなんていう抽象価値を巡ってはしょせん禅問答だ。ここは攻める局面ではない、相手をもう少し泳がせておけばいい(魚だけに、ぎゃははははは)。だからオレは「は~そうなんですね」とこれ以上この会話を掘り下げないというと意思を示す「受諾の上での不承諾」を断固として表明した曖昧な笑顔でやり過ごした。さすが相手もホンモノのイカだ。カウンターのあっちとこっちでずれた空気は察知したようで、それ以降本件に関するコメントはなかった。
まだ他に客は入って来ない。決して居心地のよいとは言えぬ時間が、北の港町の夜らしくゆっくりと流れている。そのムードがそう感じさせるのかもともとその程度なのか、ホンモノのマグロもホンモノのヒラメもさほどすばらしいとも思えない。それよりも気になるのは冷蔵ケースの中のネタの数があまりに少ないこと。なんでだろ?という興味のあまり自ら結界を破り「いつもこのくらいのネタ数なんですか?」とおだやかに尋ねたところ職人氏「冗談じゃないよ!」(あれ、怒ってるの?)「あのね、今日は時化で漁に出られないだけなの、わかるでしょこういう天候ならね」(あれ、怒らせたいの?)「あのね(口癖らしい)函館は漁場が違うの、右に日本海、左に太平洋、真ん前に噴火湾、ね、これほど魚に恵まれた土地はないんだよ!」凶悪な感情は海苔が乾いた鉄火巻きとともに腹に押し込みながらも、職人氏の発言にはさすがにギョギョっとした(魚だけに)。
函館がすばらしい漁場に恵まれていることには異論はない。そこからはうまい魚が豊富に獲れることを想像することも容易だ。しかしそれはオマエが自慢することではない。百歩譲って自慢していい者がそこにあるならば魚を育んでくれる海だ。海が豊かでなければ四方を海に囲まれていたとしてもスシ的には無意味だ。千歩譲って考えれば荒海に漕ぎ出す漁師だ。彼らが船に魚を積んで港に帰ってきてくれなければ、どんな豊かな海も単なる塩水だ。万歩譲って考えれば函館という町をこんなロケーションに建設した先人たちである。彼らがもう10キロ内陸部に町を興していたら漁場もクソもねえ。そうだよ、エラいのはオマエ以外だ、十万歩譲ってもオマエが口角泡を飛ばす資格はない。
スシ屋なんて魚を切って酢飯の上にのっけてるだけだ、なんて言うと誤解の森からの一斉射撃を受ける。もちろんそれは過言だ。しかし聞くがね、スシって食い物はそれをどこまで越えているのかね?少なくとも目の前の男は「時化だからうまいものをつくれない」と自白しているではないか、魚がないと始まらないのよ、と。「のっけてる」テレをなくしてなに握るかね?
オレは万感を込めて「ゴッソサン、今日はついてなかったね」と、我が出身地京都からこの地に落ちのびて来た土方歳三の心中もかくやと、店を後にした。そして予想外に安いお勘定に(オレの考えすぎなのかもしれぬな)と思いつつ白い雪の夜の中をホテルまで歩いて帰った。2度転んだ。
(宣伝会議「ブレーン」2011年2月号掲載)